トップページ観戦ガイドみんなの観戦記>bici

 

 

みんなの観戦記

 

怒涛のカンペオンフィエスタ@ランブラス&プラット空港!
biciさん
2006年4月3日、リーガ第35節 カーディス戦&優勝フィエスタ

(プロローグ)

04-05シーズンのカンペオン達成、2年連続のジャパンツアーを体験して、今シーズンこそはカンプノウに行ってフィエスタを味わいたい、という思いは開幕してから日に日に強くなるばかりで、春先なら休みが取れそうかな、と漠然と思い始め、9月にカンプノウクラシコのソシオ枠抽選に申込んで当選(結局キャンセル)し、11月のベルナベウクラシコのあたりで、数年前に切れてしまったパスポートを再取得。

3月半ばのヘタフェ戦、4月初めのカンプノウクラシコ、GWのカディス・セルタ戦を照準に合わせて計画を練り始めました。しかし年が明けて、ヘタフェ戦、クラシコの時期に仕事が休めそうにない空気になり、カディス戦だけをターゲットに切り替えました。

1月末にKLMのサイトで航空券を購入(旅行会社だともう少し安かったのかもしれませんが、この時点では値段が不明で予約自体も怪しかったので避けました)。あっけなく空席が見つかり、即購入。6年ぶりの欧州(しかもスペインは初)に心は躍るばかりでした。

CLファイナルの日程を考慮すると、リーガ優勝直後のファイナルで夢潰えたアテネの悲劇の再現は避けたい、ならばカンペオンの決定は遅くともデルビー、最適なのはGW中のカーサでのカディス戦。そしてポイント差を勘案してクラシコ直後も10ポイント差をほぼキープしてくれれば、目標達成は可能というのは自分勝手に思っていました。

そしてその筋書き通りに事は進んでいき、クラシコ前後の3連続エンパテでさえもOKと思ってました。カレンダーを眺めてはニンマリする毎日。渡欧1週間前までは・・・。

そして1週間前。サンチェスピスファンでの一戦を見るべく、早朝からTVをつけた瞬間、今までの目論見(自分だけの)は音を立てて崩れ落ちました。今後の日程はどうなる!?しかも35節が土曜開催に!なぜ!?水曜日のミラン戦のあとにも関わらず!

放映するのが無料放送チャンネルだったため、土曜22時キックオフという固定枠に放り込まれてしまったのが真相でした(どうしよう・・・)。22時だから19:30プラット空港到着予定でもギリギリ間に合うけど・・・。旅行が初日からタイトになりそうで、ちょっと鬱でした。

そしてこの日程のズレがカディス戦でのカンペオン達成の確率を少し下げることとなり、市内のバルでのんびり観戦を決め込んでいた36節のセルタ戦が重要な意味を持つことに。急遽OAB(バルサソシオオフィス)に観戦ツアーの有無を照会しました。

すると、「主催バスツアーはないが、公式旅行代理店RACCによる選手と同伴できるツアーが試合のチケットが別で485ユーロからある」との親切な回答を頂き、バレンシア×アラベスの結果待ちという条件ながら申込を検討しました。

 


(出発)

そしていよいよ4月29日。9時半頃に関空でチェックイン。着いてからが勝負のスケジュール。

ロストバゲージのリスクを考慮し、横断幕を現地持参にも関わらず、全て機内持込にしました。そして到着便も早かったのか、出発が予定より40分ほど早まりました。カンペオン達成の場合夜更かしすることも考え、機内食を抜いてでも睡眠を優先(笑)。

アムステルダムには1時間早く到着。乗り継ぎの余裕ができただけでなく、次のバルセロナ行きフライトも定刻より15分ほど早くプラット空港に着きました。 ぐらしあす!KLM!

おかげで20:00過ぎにはチキートにチェックインでき、現地での観戦仲間にも早く落ち合えました。地下鉄のウニベルシタット駅を発ったのが21:00前。チャビの長袖フエラユニ、エトーの長袖カーサユニ、某サイトからゲットした素材で作った「エトー発言Tシャツ」を重ね着した勝負服は地下鉄車内でも注目を浴びてしまいました。

21:30ぐらいに3号線マリア・クリスティーナ駅に到着。いよいよカンプノウへの道です。既に心臓がバクバク。選手たちがよく泊まるというホテルを左折するとマシアの建物が視界に入り、さらに奥にカンプノウが見えてきました。

一緒に来た現地人のダニエルから借りたアボノ(年間シート)は北側ゴール裏2階。ゲートをくぐり、ピッチが見えると、キックオフ15分前でした。

出発前に急遽作った「FELICITATS(おめでとう!), XAVI!6」というカタラン表記にチャビの似顔絵を貼り付けた横断幕とジャパンツアーでも使った「VISCA EL BARCA!!VISCA CATALUNYA!」というのを取り付けようと、柵に近寄りましたが、既にある横断幕でスペースが限られていたうえに、1.2mある高さの横断幕が下の階の視界を妨げるとかで、係員に断られ、泣く泣く設置を断念。席で適時掲げることにしました。

そしてキックオフ。僅か8分で待望の先制点!ロナウジーニョのゴールに他のクレとともに沸きましたが、そこからは退屈続き。紙飛行機が飛び交い、試合展開とは無関係にウェーブが何度も起こります。もちろんウェーブは参加しましたが。

そしてピッチの外でアップを始めるチャビ!!!!!!!!!!!!!!
カンプノウは騒然となり、自分もここぞとばかり横断幕を掲げます。

3mぐらいあったので両隣の現地人も手伝ってくれました。Moltes Gracies!!!
そしてデコと交代でチャビが入ったときも必死で横断幕の存在をアピールしました。

残念ながらメディアには登場しませんでしたが、それでも5ヶ月もの間離脱を余儀なくされたチャビの復活を目の前で祝福できただけでもよかったです。

 

横断幕持参の割にあまり使えなかったり、試合そのものは勝っても翌日のバレンシア待ちというのと、エトーがPK止められたりで、ショボかったかも知れませんが、チャビ復活という一大イベントのおかげか、あまり失望感はありませんでした。

帰り際、近くの席のカタラン人の子供に着ていたエトーTシャツ赤バージョンを進呈(もう1着青バージョンがあったんです)。興奮しつつも、さすがに15時間のフライトの疲労もあり、宿に帰るとすぐに寝てしまいましたが、翌日からはやっとゆっくりできました。

 


4月30日。朝10時から再びカンプノウへ。

ボティガではやはり現地価格+ソシオ割引+TAX FREEの特典につられて買い物しまくりました。わざわざバルセロナに来たんだから、と普段買えないホッケー部ユニや自転車部ユニを意気込んで探し回りましたが、ありませんでした。

FTチャンプスのフィギュアも目当てのエトーさんだけが売り切れで(後日マリア・クリスティーナのエル・コルテ・イングレスでゲットできました)、キック・オー・マニアの可動フィギュアもなし。

 

そしてカンプノウツアーへ。

ピッチやミュージアムを目にしてシャッターを押す手が止まりません。おまけに帰国していたレオ・メッシーがカンプノウのピッチで自主トレしているシーンに遭遇してしまいました!!!声援にも黙々とトレーニングをこなすメッシー。約10mの距離まで接近できました。

昼からランブラスをうろついていると、露店でロナウジーニョの手型が青とエンジでプリントされたネックストラップを発見。1.5ユーロと手頃だったので、土産に複数買い求めました。

夕方、バレンシア勝利の知らせが入りつつも、市内のアイリッシュ・バー(店名不明)でオサスナ×メレンゲを観戦。別にリーガの成績上、最早眼中になしでしたが、たっぷり罵声を浴びせてきました(笑)。

 


翌日(5月1日)。

サグラダ・ファミリアを見学したあと、三度目のカンプノウへ。セルタ戦を前にラ・マシアでのチーム練習があるのです(この日、リバポのシセが遊びにきてたらしいですが、遭遇しませんでした)。11時過ぎに到着。

マシア裏の練習用コートに選手が続々。マシアの寮を挟んだ道に回りこみ、フェンス越しですが、ロンドで汗を流す選手・コーチ陣を直に見れました)。

奥の南米組(+ジュリ、エトー)はあまり近くでは見れませんでしたが(それでも光学10倍デジタル50倍ズームは役立ちました)、手前の欧州組+ライカー&テンカテの練習シーンはたっぷりと目に焼き付けました。

 


5月2日。

スペインの3連休が終わり、バレンシア通りのRACCのオフィスを訪問しました。この日出発するであろうセルタ戦応援ツアーへの参加申込のためです。

9時の開店前から前の通りに椅子が並べてあり、人だかりでした。そう、翌日発売(先着順)のサンドニ行きツアーの申込客たちでした。

店内に入ってセルタ戦ツアーのことを質問すると「外で並べ並べ」と言われました。店員もCLファイナルのことしか眼中になかったようです。

「ビーゴ、ビーゴ」を繰り返して、やっと理解してもらい、空きがあるか照会してくれましたが、残念ながら枠は既に満員でした。自力で行ってもよかったのですが、セルタ戦の帰りのフライトは翌日しかなく、その日は日本に帰る日でした(12:00発)。

選手と同伴できないのにまたもキツそうなスケジュールをこなすことに萎えてしまい、結局バルセロナに留まり、深夜のプラット空港出迎えを決意。

 

空白の2日ができたので、行きそびれていたピカソとミロのミュージアムを見学。そして、とある決意を胸にチキートの前を走るグランビア通りを西へ。隣のurgell(ウルヘル)駅の西出口を左折(南下)して1ブロック。角にあるTOMAS DOMINGOという自転車屋に辿り着きました。そして店内を物色。予想が的中しました。

バルサ自転車部のサイクルジャージ発見!!!!55ユーロというお手頃な値段だったので頼まれてた土産分も入れて3サイズ購入できました♪

ネットでバルサ自転車部のことを調べたときは、サイクルヘルメット、サイクルグローブ、サイクルボトルもあったんですが、店員の話では現時点ではジャージのみ、とのことでした。クレジットカードとTAX-FREEもOKです。新シーズン用なのか、以前見た胸ロゴはなく、ナイキのロゴだけでした。

 


(実はこんなこともあろうかと、事前に自分の乗ってるMTBのメーカー、Cannondale社の英語版サイトでスペイン国内のディーラーを調べていたので、他にもバルセロナ市内でリストアップした候補を挙げておきます(実際には行ってない店も含まれています)。

*トマス・ドミンゴ(今回行った店):http://www.tomasdomingo.com/
C.del Comte Borrell 96
+34-93-452-1616

*Probike Pexamamia:http://www.probike.es/
C. de Villarroel 184(L5号線 Hopspital Cl'inic駅下車)
+34-93-419-7889

*Medina Bicicletas:+34-93-274-3498

その気になればバルサのほかのスポーツ部門(バレー部・野球部・陸上部)のユニを扱いそうな専門店も探せるかも知れません。

 


5月3日。

いよいよカンペオンに王手の日。バルセロナ残留が決まってたので朝からのんびり観光。夕方にシャワーと夕食を済ませてから、20:30ごろ、黄色のとんがり帽子着用でローマ通りのBCN SPORTS BARへ。

観光客よりも地元客のほうが多く、既にソンモイシュでのマジョルカ×バレンシア戦を中心に他カードの映像がランダムに流れていました。ラ・レアルがリードしてるときと、エスパニョールが負けてるときの歓声でクレの普段からの感情(バスクとの連帯感、アンチペリコ)を推し計ることができました。

そしてキックオフ。バレンシアはハーフタイムで依然負けていました。何度かのゴールチャンスとバレンシアの途中経過が判明するとクレたちがHimneコーラスや「カンペオーネス、カンペオーネス、オエ、オエ、オエ〜」、「si,si,si!Nos Vamos a Paris!」、「Futbol Club Barcelona〜 ラ〜ラ〜ラ〜ラララ〜」の大合唱を始めて、自分も追随。

緊張の前半が終わり、バレンシア敗北の報が流れると店内は大絶叫。自分から「Madrid, Cabron!Saluda al Campeon!」を言い出すと、店内のクレも応じてくれて、この瞬間が何ともたまりませんでした。

そして有終の美を飾る後半。エトーが先制点を決めて店内絶叫。そして何度かのチャンスを演出しつつ、オトナのフットボルを展開するバルサ。チャビが交代で入ると歓声もさらに大きくなり、現地中継の画面は時折ランブラスで既に始まっているフィエスタの模様を伝え、興奮がますます高まっていきました。

 

・・・23:00になるころ、勝利の美酒に酔いながら、我々(日本人数名とカタラン人ダニエルと店内で意気投合したカタラン人X)はチャビ横断幕の裏に書いた「Mandril,Cabro! Saluda al Campio!」の横断幕を振って一路ランブラスを目指しました(同じくジャパンツアーで使用したカスティジャーノ表記をカタラン語に書き換えたバージョンです)。

すれ違うクルマは例外なく祝福のクラクションを鳴らし、すれ違う人々は我々の横断幕を見て笑っていきます。15分ぐらいでウニベルシタットに到着。人だかりが増えてきて、ムンド・デポルティーボ紙のスタッフが号外とロナウジーニョの手型ボードを配ってます。我々の横断幕はかなり通行人にウケて、写真を撮っていく人たちもいました。

カタルーニャ広場に着くと、人ごみがすごすぎて身動きできない状態でしたが、人々は叫び、歌っています。なんとか人ごみを掻き分け、カフェ・ズーリックの前の地下鉄入口でスペースを確保して一息つきます。

帰国後に知りましたが、2万人以上が集まっていたそうです。新聞のキオスクの屋根に登る者、街灯によじ登る者、道路標識を壊す者が現れ、警察も来ました。

挙句の果てに、「バルスパイダーマン(と命名)」まで・・・!それでも1時間弱はフィエスタが続いてました。そのうち、郊外に住むダニエルが家に帰りました。平日だし、翌日は仕事だそうです。フィエスタの人数も少しずつ減り、我々も解散しました。しかし自分にはまだイベントが残っていました。

 


翌1:00。カタルーニャ広場からはすっかり人がいなくなり、1時間おきにあるという空港への深夜バス(N17)に乗り込みました。半分以上がクレ。車内で、併走するクルマで、まだまだフィエスタは続いていました。

とある少年はバスのベルを壊し、普通の女性客があまりの騒ぎにキレてました(笑)。

1:40ごろにプラット空港のターミナルAに到着。既に空港も人であふれています。ターミナルBへ走り、フィエスタに紛れ込みました。選手・スタッフはまだ到着しておらず、ターミナル前の道路でバルサバスが来るのを待っていました。

ターミナルビルの柵に「Mandril〜」の横断幕を飾り付けて一服していると、通りすがる人々が笑いながら一緒に写真を撮ってくれと寄ってきます。そうこうしているうちにどうやら選手たちが到着した模様。クレたちはバスに殺到します。自分もできるだけ近づこうと試みましたが、時既に遅く、ちょっと遠目からバルデスの撮影に成功しただけでした。

エトーさんか、せめてテンカテにサインをねだりたかったのですが、急にどうでもよくなりました。このシーンに立ち会えただけでも幸せなのに、贅沢な気がしたので。

バスを少し追いかけながら空港を出るのを見届け、自分も帰ることにしました。ゴミ(ムンドの手型ボードが特に多かった)が散乱するターミナルBを歩き、この時間も動いていたN17のバスに乗り込み発車を待ちます。

3:00ごろ、バスは動き出しました。間際に空港行きのバスでも乗り合わせたクレに再会。マフラーをくれたので、エトーTシャツやらフェイスペイント用の色鉛筆(未使用)やらバルサストラップをあげました。行きのときほどは騒がしくなかったバスは40分ほどでウニベルシタットに到着。クレと別れを惜しみつつ、チキートへと歩きました。4:00就寝。

 


5月4日8:30起床。朝食後、ASやMARCAなど眼中にもくれず、ローカル新聞(ムンド、スポルト、エル・ペリオディコ、バンガルディア)を買い漁りました。スポルトはカンペオンフラッグも売ってたので、ついでにそちらもゲット(5.95ユーロ)。

10:20 カタルーニャ広場へ向かい、空港行きのバスに乗りました。11:00に空港着。セキュリティ・チェックを越えると、長いようで短かった旅の終わりを実感。フィエスタ疲れでアムステルダムからの機内でもよく眠れ、帰国後も時差ボケなしでした。

 


PS.デルビーの日にあるというセレモニーやパリでのフィエスタ(予定)は今回無縁ですが、現地でフィエスタの一部を経験できてよかったし、12月の来日を待つばかりです。

結果だけで言うとカンプノウクラシコ外して正解でしたね(笑)。

あと、エトーの爆弾発言にも期待してますが、今年はおとなしいから無理ですかね?バルセロナの街並み自体も好きになったので、バルサとか関係なしにいずれまた行く日が来るだろうと思ってます。