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みんなの観戦記

 

大興奮、バレンタイン・クラシコ!
かずさん
1999年2月14日、リーガ第22節、メレンゲ戦

99年2月11日〜16日の間、バルセロナへサッカー観戦に行って参りました。とうとう、世紀(!?)のバルサ−マドリー戦を生観戦してきました(バルサ創立100周年記念という意味でも世紀の決戦です)。バルセロニスタの私としては感動・感動また感動でした。以下では、試合前からの観光状況を含めてご報告いたします。

 

さて、まずは日本を発つ前のチケット問題からです。 チケット入手方法および試合日程については、パソ通仲間(インターネットじゃない!!古)の方々から情報をいただいており、現地でのチケット入手が困難なこと、試合日程はTV放送の都合で直前でないと決まらないことはわかっておりました。

そこで、チケット問題を解決すべく、日本の某旅行代理店にお願いして、エージェントを複数名(?)通して入手に成功しました。その額は大きな声では言えませんが、額面の5倍弱程度とかなりの値段でした。先日、あるパソ通仲間の方が、「チケットですが、年々手に入れるのが難しくなっていますが、今年は最悪。なぜかというと、一般には一枚も売りにでなかったのです。

今年からカンプノウの立ち見席をすべて椅子席にしたため、収容人数が減ってしまい、ソシオ(会員)でも買えない人がかなりでるということで、一般などはとんでもない。まぁ、もともと日本人旅行者がこのカードを見ようとする場合、毎年、ダフ屋を当てにするのが普通ですが、今回はこのダフ屋がチケットを手に入れるのに四苦八苦しているということです。」と言っていましたが、現地で見ると本当にダフ屋は1人もいませんでした(そのように見受けられました;実際にはいたようですが)。一般ピープルにとっては本当に厳しいチケット入手戦線だったことと思います。ホント、どうやってこのチケット手に入れてくれたの?ねえ、エージェントさん!

 

さあさあ、いよいよバルセロナへ発つ時がやってきました。バルセロナはこれで2度目です。前回は、ロナウドやルイス・エンリケが移籍してきた96年の10月でした。バルサ対ログロニェス戦を観戦し、8-0という素晴らしいアットホームな結果に満足したものでした。でも、今回は事情がかなり違うみたいです。2度目の今回は、なんと私の愛するチーム=バルサと、憎き(?)ライバルであり、現在事実上世界一のクラブチーム=マドリーの試合の観戦なんです。バルセロナ観光は前回にほぼ完了してしまっているので、今回はまさしくこの試合のためだけの旅行なのです。

−−−−−(以下、途中まで観光日記;笑)−−−−−

2月11日(木)を出発した私は同日夜に聖地(?)バルセロナに到着。この旅行の目的がクラシコ観戦だけではあっても、やはりバルセロナの街は温暖で、美しく、芸術的で、私の観光心をくすぐります。街を歩いているだけで、世界遺産のガウディ建築にぶちあたる、そんな感じでした。 私の行った観光ポイントは次の通りです。

11日(木):深夜着のためホテルで寝るだけ。(→手違いでホテルの予約がされておらず、同ホテルの小部屋に泊めてもらう^^;)

12日(金):午前:グラシア通り沿いおよび近くのロエベ、ヤンコ、ホアキン・ベラオなどへ行き、嫁へのみやげを買う(実は1人で来たのでした)。午後:大学時代の友人がドイツから合流。カサ・ミラ(世界遺産)、カサ・バトリョ、カサ・アマトリョール、サグラダ・ファミリア、グエル公園(世界遺産)、コロンブスの塔、カテドラル(ミサ、聖歌隊聴く)夜:ピカソ等がたむろったと言われるクアトロガッツで夕食後、フラメンコ!前回の旅行(in Madrid)では途中で寝てしまったので、今回は失礼なくばっちり見ました!やはりすごい。しかし日本人だらけ。

13日(土):午前:モンジュイック(オリンピックスタジアム等を見学。途中、道路に書かれた青線(たぶんマラソンの距離計測のための線の名残)に沿って有森裕子の気分で走る。後で逆走していることに気づく^^;)あと、カタルーニャの聖地モンセラへ足を運び、誰か??の結婚式に参列し、聖歌隊の合唱を聞く。午後:再び戻ってピカソ美術館、グエル邸(世界遺産)を見学。夜:カタルーニャ音楽堂(世界遺産)でオペラ風コンサートを聴く。夕食はランブラス通り沿いのサン・ジュセップ市場の奥にあるレストラン/エル・コンベントで、サングリア、魚介類スープ、イカ墨ご飯などを食べる。非常にうまい!ムイ・ビエン!(^_^)実はこの後ホテルへ帰ってやっとサッカーのチケットを入手。(チケットの到着が遅れ、受け取るまでヒヤヒヤの日々でした。)

14日(日):午前:いよいよ決戦当日。うきうき気分でとりあえず、ガウディ建築のグエル別邸、サンタ・テレサ学院等を見たあと、カンプノウへ。まずはバルサ博物館を見学。バルサの栄光を見つつ、マドリー戦への気分を高めていった。(とりあえずチャンピオンズカップの前で写真撮影し、マフラー&ユニフォームを購入)午後:いったん高鳴る気分を抑えるべく、モンジュイックのミロ美術館へ。美術館手前で友人が偽(?)警官たちにひっつかまり、パスポートを提示させられるが、日本人とわかるや何もなく解放(少々訳ありの様子)。「Are you real police?」(友人)→「Are you crazy?」(警官)の問答!!いかにも怪しい。この過密日程の中、まあいろいろとあったが、これらは次に訪れる決戦への序曲に過ぎなかったのだ。さあ、いよいよ観戦だ(→内容は後ろに回しておこう)夜 :観戦後、味をしめたエル・コンベントで再び夕食をとる。今日は、パエージャとクレマ・カタラーナ(カタルーニャ風カスタードクリーム)だ! だが、観戦後の興奮と疲れが重なったか、食べきれず、友人が平らげた。だがだが、味はムイ・ビエンだ!(^_^)

15日(月) 早朝:バルセロナへの友好心を再び高め、後ろ髪を引かれながら帰国の途へ。空港までのタクシーの中で、運ちゃんとバルサについて語る。運ちゃんは英語がダメなので、片言のスペイン語で会話。「俺はリバルドがええんや!セルジもタフでええけどな」(運ちゃん)、「僕はルイス・エンリケ、フィーゴ、ペップが好きだよ。リバルドもいいっすね〜。ロナウドがいれば良かったのにね〜。」(私)空港到着後、握手をして運ちゃんと別れる。バルサよ、さらば。

16日(火) 朝 :東京着。ああ、・・・。

−−−−−(観光日記終了)−−−−−

 

−−−−−(続いて、いよいよ観戦記)−−−−−

14日(日)の17時に待望のクラシコがキックオフされる。私は試合前に興奮を高めようと、早めにカンプノウへ行くことにした。15時ぐらいにカンプノウ脇に到着した。カンプノウには続々と人が押し寄せている。とりあえずは雰囲気調査とダフ屋調査を兼ねて周辺をぶらつくことにした。私は日本を発つときから、ダフ屋を見つけていくらで売ってくれるか訊ねようと思っていた。だが、私の目論見は崩れ去った。

「ダフ屋がいない!!」

なんとダフ屋が1人もいないのだ。当然タキージャ(切符売り場)も完全に閉まっている。やはり流れてくるチケットはないみたいだ。私はどうやってチケットを手に入れているのだろうか?エージェントさんに感謝感謝。バルセロナに来る飛行機の中で読んだNUMBERで杉山茂樹さんが書いていたように,当日売りはわずか5000枚で、10万5000枚はソシオが握っていて、非常に入手困難だそうだ(注:上述の通り、事態はもっともっと深刻だったみたいだ)。

もちろん、我々はチケットを服の奥底にしまい込み、チャックを閉め、厳重に管理し、入場を待った。(後日談:別情報では、ダフ屋は存在した!との話がある。相場は3万ペセタから声をかけてくるらしく、中には5万ペセタと言うものもいたらしい。これは、2万ペセタまで値切れたのに買わなかった日本人から聞いた情報である。価値観の違いだが、私に言わせればもったいない話だ。) (管理人注:僕の場合は同じ日にウジャウジャいました。午前中に行ったからでしょうか)

カンプノウ脇を散策していると、人集りのあるゲートがあった。どうやら、ここに選手たちを乗せたバスがやってくるらしい。「よし、マドリーのバスにはブーイング、バルサのバスには声援を送ろう!」と考え、道を挟んだ小丘の上に腰掛けて待つことにした。これも非常に楽しみなひとときだ。選手たちを乗せたバスを待っていると、3人の日本人の若者が声をかけてきた。

「チケットあるんですか?」私はそれに対し「あります、一応。日本で仕入れたので。ダフ屋全然いませんね。今日は無理かもしれないですね。」となぜか(?)笑顔で答えた。彼ら以外にも何人か日本人を見かけたが、どの人もチケットを入手していないように見えた。何たってダフ屋いないんだもんなあ。『かわいそうだが、許せ。俺はこのためだけに来たんだから。』 ヒシヒシと今このチケットを持っていることの凄さを実感した。しばらく人を見つめていると、馬に乗った警官たちがゲート前を整理し始めた。いよいよ、選手たちが入ってくるみたいだ。どっちだろうと待っていると、集まっている人から歓声が聞こえてきた。どうやら、バルサの選手たちのようだ。我々を含めたバルセロニスタたちの声援を浴び、バスの最前列に座っていた監督のファン・ハールが親指を立てて応えているのが見えた。

「がんばってくれよ、バルサ!!」

さぁ〜て、次はマドリーかなと思った瞬間、ゲート前から人が分散していくのが見えた。私はマドリー選手団への大ブーイング(はたまた、卵投げも?)を期待していたのだが、どうやらマドリーはとっくの昔に入場していたみたいだ。考えればわかることだが、人がスタジアムに集まる前に入場する方が賢明なのだろう。なるほど、そりゃそうだ。

16時、我々は入場することにした。服の奥底にあるチケットをポケットの中で見て、入場すべきゲート番号をこそこそと確認した。ここで奪われては大変だ。これだけのプラチナチケットだ、誰でも欲しいはずなのだ。慎重に慎重を重ね、入場ゲートの直前までチケットを出さず近づいていった。

ゲートに近づくと、1人のおっさんがこそこそと2人の少年に98-99シーズンパスらしきカードを手渡していた。もしや、このおっさん、ダフ屋なのか?シーズンパスを貸すダフ屋もどきがいると聞いたことがあるが、彼がそうなのかもしれない。ちょっと確認したかったが、人の流れの中、じろじろ見るわけにもいかないので、ゲートへ向かった。私の前には2人の少年が並んでいて、シーズンパスを持っていた。初めてみたが、それは青色のキャッシュカード風のカードで「98-99・・・」と書かれ、バーコードが付いていた。その少年たちがカードを見せてゲートを通ろうとしたところ、ゲートにいるチェックマンが彼らを止めた。どうやら、そのカードは偽物(あるいはそれだけでは不十分)らしく、入場を断られた。

『そこまでしても見たかったんだろうな。誰も考えていることは同じだ。俺もそれだけの代償(お金)を払っているんだから。』

ともあれ、次は自分たちの番だ。ゲートのおやじは簡単に我々のチケットの端を切り取り、入場に成功した。やった! これでももうチケットを強奪されることもないだろう。スタジアムの敷地内に入ってしまえば、みんな同じ立場だ。さて、我々はどんな席なのだろう。チケットをきちんと見てみると、なんと最高額の席じゃないか!ってことは正面スタンドの真ん中、しかも前列なのか?と希望を膨らませた。とりあえずしばらくスタジアムの脇を歩いて、スタッフ?が配っている新聞をもらった。

しばらくスタジアムの外にいたが、見かけた日本人はわずか2人だった。当然と言えば当然だろう。なんという日本人率の低さだ!先日TVで見たミランvsペルージャとは大違いだ。一緒に行った友人はその試合を見に行ったらしいが、私がWOWOWの映像で見る限り、写したスタンドの半分は日本人だった(かなり言い過ぎだが)。私は、そういう状況だと、がっかりしてしまい、試合の価値を下げてしまう性格だ。そういう私にとって、このカンプノウは最高の状況だった(だから、ナカタがバルサへ移籍という記事があるスポーツ新聞に載ったが、私にとってそれは喜ばしいことではなかったのだ。もしそうなればうれしいのやら悲しいのやらって感じだ)。日本人がいない。愛するバルサ戦、しかも相手はマドリー。舞台は整った!我々はスタジアム内へと急いだ。

スタジアムへ入る入り口でも、チケットのチェックを行っていた。今度は機械でバーコードを読んでいるようだ。『もし、このチケット、偽物だったらどうしよう』という思いがよぎったが、なんなくチェックを通過し、思わずホッとした。やった、いよいよカンプノウの中へ。今回で2度目だが、やはり興奮するものだ。チケットを見ながら、席を探した。席はどうやら、正面スタンドの最上階(3階)らしい。ちょっと期待がはずれたが、まあいいだろう。

3階に行くと、スタッフのおじさんが席まで案内してくれた。席は正面スタンド3階席のピッチへ向かって左端だった。かなり高い場所だ(高度も金額の高さもだ(^^;)。しかし、横浜総合運動競技場よりははるかに見やすい。私は横浜F・マリノスのファンで、よくスタジアムへ行くが、2階席ともなると、選手が米粒にしか見えない。横浜のスタジアムは、トラックがある上に、スタンドの傾斜が緩やかだからだ。ああ、残念だ。横浜のスタジアムはカンプノウよりもはるかに後に作られたスタジアムなのに、どうして横浜はあんなスタジアムにしかなれなかったのだろうか?

ま、それはさておき、そろそろ世紀の決戦の始まりだ。観客はまだまばらだったが、当然、試合開始には満席になるのだろう。11万人ぐらいだろうか!(注:カタルーニャのスポーツ新聞、スポルト紙では9万8,000人と書いていたが、もっと多いと思う。だけど、若干の空席があるにはあったが、通路に腰掛けている客も多くいたので。あれ?全席指定席じゃなかったっけ?)すごいことだ。しかも、全員バルサ側の人間。感動的だ。しばらく、ゆっくりと写真撮影を楽しんだ。だんだんと席が埋まってくるのがわかり、ゴール裏スタジアムは黄色と赤色のボードを掲げ、カタルーニャの旗を表現した。カタルーニャ対スペインの図式だ。日本人には到底わかりっこない民族戦争の始まりだ!

マドリーの選手がピッチへ入ってくるのだろうか。すごいブーイングが聞こえてきた。耳をつんざくような11万人の大ブーイングだ。ただのブーブーではなく、まるで地響きのようなブーイングだ。これが私の味わいたかった雰囲気だ。

続いて、バルサの選手が入ってきた。なんとほほえましい歓声だろうか。「がんばれよ」「頼んだぞ」「期待してるぞ」「5-0だぞ」・・・と言ったところか。私も当然大きな拍手で出迎えた。まずは練習が始まり、マドリーの選手がスタンド脇を通るごとに大きなブーイングがその方から聞こえてきた。

キックオフの17時が近づいてきた。選手たちは一度引っ込み、ユニフォームを着替え、登場してくる。バルサの応援歌とともに、選手入場が始まった。TVでよく聞いているので、歌えはしないが、拍手のたたきどころ、リズムは承知だ。続いて、スタメン紹介だ。まずはマドリーから大ブーイングとともに紹介された。

(マドリー)
コントレラス、パヌッチ、イエーロ、イバン・カンポ、ロベルト・カルロス、サンチス、ロベルト・ヤルニ、セードルフ、ラウール、モリエンテス、ミヤトビッチ

続いて、大歓声でバルサのスタメンがコールされた。
ヘスプ、セルジ、フランク・デ・ブール、アベラルド、ロナルト・デ・ブール、コクー、ペップ、リバルド、ルイス・エンリケ、フィーゴ、クルィベル

私はスクリーンに向かって、ペップ、ルイス・エンリケ、リバルドの画像の写真撮影に成功した。

さあ、キックオフだ。選手紹介が終わると、すぐに笛が吹かれた。試合開始とともに、完全なバルサペースだ。今まで見たことのないほどの鮮やか・軽やかなパス回し、華麗なサイドチェンジ、余裕のバックパス・・・。観客もわかっている。素晴らしいプレーには間髪入れずに盛大な拍手だ。4連敗していた頃のバルサと、最近、特に今日のバルサは完全に違っている。今日は完璧だ。ライバルのマドリー戦に向けて、完璧なトレーニング、調整を行い、かなりのモチベーションで望んだに違いない。

私の眼下に展開されるゲームは、マドリーにとって明らかなアウェーゲームで「11人対11万人」の様相で、マドリーは守備的な展開を強いられた。リバルドの巧みなドリブルでの突破、フィーゴを走らせるスルーパス、クルィベルのポストプレー、そこへ飛び込むルイス・エンリケ。また、守備では、ペップによる早めのパスカット、アベラルド、フランク・デ・ブールの的確なマークが光った。安定した試合展開、しかも攻撃的だ。これぞ、バルサのサッカー、スペクタクルなファンタジー性富むサッカーだ。

フィーゴも相変わらずうまい倒れ方をする。彼はよく倒れる。だけど、けがはない。その倒れ方は足がかかっていなくても、まるでまともにくらったかのような壮大な倒れ方だ。

一方のマドリーはまるで蛇ににらまれたカエル状態だ。浮き足だって何もできない。バルサにいいようにやられている、そんな状態だった。中でも、ロベルト・カルロスには、相変わらず猿まねブーイングが厳しい。彼がボールを持つと、11万人の「ウッ、ウッ、ウッ、ウッ、ウッ、ウッ、ウッ、ウッ」。完璧なアウェーの雰囲気だ。

前半4分、さっそくバルサのゴールチャンスが訪れた。クルィベルの左からのクロスボールにルイス・エンリケが頭で合わせて先制。あっさりとバルサが点をとった。この調子で行くと、本当に5−0かもしれない。5−0というスコアは93-94シーズンにここカンプノウで達成したスコアだが、それ以来となるのか?本当にそうなってもおかしくない展開だった。

そして、起こるべくして、その事件は起こった。前半20分、フィーゴの右サイドの突破を止めようとしたロベルト・カルロスの深いタックルにより、フィーゴはもんどりうって倒れる! 大ブーイングの中、審判が小走りに走り寄り、ロベルト・カルロスに一発退場となるタルヘタ・ロハ(赤紙)を差し出したのだ。ロベルト・カルロスは信じられないといった表情だ。スタンドから見ていると、タルヘタ・アマリージャ(黄紙)程度に見えたのだが、抜かれた場合の危険性、フィーゴの倒れ方、観客の騒ぎ方などを総合すると、合わせて1本って感じだった(注:実際の映像を見ると、バックチャージでもあるので明らかに赤紙でしたが)。当然、スタンドからは「イ○・デ・プー○」のヤジが飛んだ。さあ、いよいよ5-0へと試合が動き出した。

1点をとってから、まだまだバルサの華麗な攻撃が続いたが、段々とクルィベルとの呼吸がずれ始めていた。彼の動きとリバルドなどからのパス方向が逆々をついていた。だが、まだまだバルサのボールキープ率は非常に高く、余裕を持った攻撃が続いた。そして、前半36分、またもフィーゴからの右サイドの突破から、ペップへパス、そのペップからの中央への芸術的なループパスを受けたルイス・エンリケが頭で合わせて2点目!! 決定的だ。

2点目をとると、やっとマドリーも本気を出し始めたのか、必死の攻撃を仕掛けるようになった。だが、まだまだモリエンテスやラウールへのロングボールが多く、いまいちペースをつかめない様子だ。一方のバルサはホッとした訳でもないだろうが、最初の勢いはなくなっており、少々私は不安を抱えて、ハーフタイムを迎えることになった。

ハーフタイムは2-0とバルサが勝っているということで、非常にほんわかな時が流れた。ああ、それにしてもスペイン人はよく葉巻を吸うなあ。服にすっかり臭いが染みついてしまった。イタリアが発煙筒なら、スペインは葉巻だ。スタジアム内が煙っている!

さて、後半はマドリーはモリエンテスに代えてサビオ、ミヤトビッチに代えてグティを投入。そして、後半は始まった。後半になると、サビオの左サイドの突破からの攻めが目立ち始め、マドリーも息を吹き返してきているのが見えた。そして、後半早々、イエーロの左サイドからの素晴らしい右足フリーキックがあったが、これはヘスプの好セーブに助けられた。今日のヘスプは前半の好セーブもあり、大活躍の試合となった。

わずかにバルサペースの中、そしてまたバルサのゴールチャンスが生まれる。81分、クルィベルのパスを受けたリバルドが左足で鮮やかなゴールを決める!!!イエーロやパヌッチにはあきらめを示すかのようなしぐさが見えた。あと、私は地味なポストプレーに徹したクルィベルに点を決めて欲しいと望んだが、その前に試合終了の笛は吹かれた。

完璧なバルサの勝利だった。これでバルサはマドリーに対してホームで16年連続負け無しという記録を達成した。しかも、この6年間に限れば、バルサは得点16、失点0ということになる。すごい記録だ。バルサホームでの通算記録で言うと、1928-29シーズンから数えて、バルサの42勝11分16敗である。これを新聞で知り、あまりのバルサのホームでの強さに唖然としてしまった。何があってもマドリーにホームで負けてはならないという根性が見える。日本代表もJのクラブも是非そういう気持ちをもってほしいと望むばかりだ。

試合終了後、スタジアムの観客は勝利の余韻を楽しむ様子もなく、まるで当たり前のように、スタジアムを颯爽と去っていった。地下鉄への道はもう無法状態だ。我々は、車、バイク、人、馬の糞をよけながら、地下鉄へと向かった。そして、またいつかこの試合を見に来ようと心に誓った・・・。