Historia del Barça

 

ヘネラリシモ杯での歴史的敗北(Derrota Historico)

 

バルサ対レアル・マドリー。「クラシコ」と呼ばれるこの対戦が闘争心をむき出しにするのはフランコが政権を略奪してからのことです。

フランコお抱えのクラブとしての軍事政権のマドリ、あるいはスペイン独立を企てる”アカ”のバルサ。当然ながら両チームの対戦は強烈なライバル心のぶつかり合う場となります。

当時、スペイン杯(現国王杯)はヘネラリシモ(総統=フランコ)杯と名前を変えていました。そして1943年、一つの事件がおきます。ヘネラリシモ杯準決勝におけるクラシコでのことです。

第1戦をラス・コルツ(別項参照)で3-0と勝利していたバルサ。そしてマドリでの第2戦の開始を待つバルサの更衣室に、スペイン警察長官と主審が訪れます。彼らはやんわりとした脅迫の言葉を選手たちに贈りました。「あなた方の中には、国外亡命した後に戻ってきた選手がいると聞きます。その方々が今こうしてプレーできるのは、すべて国家がとった特別恩赦のおかげであるということを忘れてはなりません

結果、バルサは11-1という歴史的な大敗をします。もしバルサが勝利していた場合、どうなっていたかは選手たちにも脅しをかけた警察長官にも分からなかったでしょう。しかし何かが起こるかもしれないと思わせるだけで絶大な効果があったことは間違いはありません。

マドリでは今でもこの大勝利のことが“栄光の試合”として話題に上るそうですが、当然ながら裏で何があったかは触れられません。

 
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