Historia del Barça
カンプノウ(Camp Nou)
1940年代の終わりから、ラス・コルツ(別項参照)の収容人数は限界を見せていました。 ラディスラオ・クバラの人気とシンコ・コパス(共に別項参照)という偉業達成により、新スタジアムが絶対に必要という状況になっていたのです。 カンプノウが「クバラの立てたスタジアム」と言われる所以です。 そこで1953年、新スタジアム建設を公約に掲げたミロ・サンスが会長に選出されます。 1947年、ライバルであるレアル・マドリはすでにチャマルティン(現サンティアゴ・ベルナベウ)スタジアムを完成させていました。 政府のお抱えクラブだったマドリにとっては資金の捻出も政府の建設許可を得るのもさほど難しいことではなかったのです。 しかしバルサにとってはこれは大きな問題でした。それでも政治力に優れていたサンスは、この問題をわずか半年でクリアします。 資金は銀行からの借り入れとソシオの協力によってなんとか解決しました。クラブの要請に対しソシオは快く負担することで応えていったのです。 翌年の54年には建設開始のセレモニーにまでこぎつけます。このセレモニーに参加したファンの数は6万人といいますから、期待の大きさが伺えます。 そして1957年9月24日、カタルーニャのお祭りメルセにあわせ、無事カンプノウスタジアム完成。収容人数9万強という欧州最大規模のスタジアムが誕生しました。カンプノウはラス・コルツと比較し、“新しいスタジアム”という意味です。 82年W杯では開会式の会場になったことでも有名。また、カンプノウは世界でも数少ないUEFA認定5つ星のスタジアムです。これはカンプノウが最高級の安全性と機能性を確保している証明です。 1957年に完成したカンプノウは、これまでに数回の増築を重ねています。完成当時はまだ2階席までしかなく、収容人数も9万人ほどでした。1982年にW杯を迎えるために3階席を増築し、シート85000席、立見席も含めると12万人収容という超巨大スタジアムへとなりました。 1994年にはグラウンドの高さを3メートル掘り下げるという修正を行い、収容人数も10万9,000人となりました。そして1999年にはすべての立見席が撤去され、現在は9万2000人収容となっています。 2007年9月24日にはカンプノウ落成50周年記念として、盛大なイベントが予定されています。 |
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