4-1:・・・・・・・・・。
史上稀に見る、恥ずかしすぎるクラシコ。
今シーズン数多くのみっともない試合をやってきたバルサではあるけれども、このクラシコはそのシャツとエスクードへの誇りを胸に、意地のプレーをやってくれるのではないか・・・そんなバルセロニスタのささやかな願いは、またしても木っ端ミジンコに砕け散りました。“パシージョ”がなんてことのないエピソードに感じられるような、恥ずかしすぎる内容での完全なる敗北。バルセロニスタにとっての本当の恥は試合前の15秒ではなく、笛が鳴ってからの90分にあったのです。かつて記憶にないほどの、熱意も執念も感じられないクラシコ。はあ、酷いチームだとため息をつくばかりです。
◇“パシージョ”なんてかわいいもの
いやはや、もうなんと申しましょうか。試合前は、やれ屈辱の“パシージョ”がなんだかんだとしつこく取り上げてきましたが、終わってみればあんなものはなんてことはない。先にピッチに登場し、2列に並んで花道を作り、カンペオンマドリを出迎えて1分もかからず終了です。バルサ選手たちは自分たちが“パシージョ”を作ってもらう立場になれなかった悔しさを胸に、そこからの90分間を死に物狂いで戦ってくれればOKでした。しかしクレにとって悪夢だったのは、キックオフの笛が鳴ってから。単なる儀式なんかより、1時間半にわたって繰り広げられるみっともなさすぎるバルサを見せられることの方が、遥かに厳しい苦行だったのです。
“パシージョ”自体に少し触れておきますと、現地では試合数時間前、バルサが全治6ヶ月となったミリートを励ますためのメッセージ入りTシャツを着てマドリをお出迎えするのではないかとか、そんな噂が交錯していました。会長も「やりたいような“パシージョ”をする」と煽っていたようです。しかし登場すれば、普通のバルサユニ。バルサはグティが認めるところの“紳士”でありましたし、“パシージョ”の雰囲気も敵味方なく功績を称えるという、温かい空気の中でさわやかに行われました。しかしバルサにとっての“本当のパシージョ”は、そこから始まります。儀式の悔しさなど、かわいいもの。真の恥は、情けないプレーによる完敗にありました。
◇これがクラシコのバルサか
昨日のバルサは、王者マドリに全ての点において負けていました。勝利への気迫、相手へのプレス、集中力、パスや展開のスピードなどなど。試合後の会見で、白組グティはこのように語っています。「僕らはまだ優勝してないんだという気持ちでピッチへ出た。どうしても勝ちたかった。」対するバルサは、果たしてどうだったのでしょうか。勝ちを必要としているのはむしろバルサだったのに、それだけの気合は入っていたのか。このクラシコはピッチに出た瞬間で、勝敗は付いていたのでしょう。審判の誤審など、ちょっとしたスパイスにすぎません。バルサ選手にとってクラシコが、そんな執念も示せないゲームになっていることが、まず悲しい。ライカーの虚ろな目が悲しい。マドリ戦だけは死んでも負けたくないというバルサは、どこへ行ってしまったのでしょうか。
前回のクライシスに突入する以前のバルサは、いわゆる“男前”が揃っていました。炎のエンリケ兄貴を筆頭に、リバルドや(いちおう)クルイベル、ペップ・グアルディオラなど、熱い選手がたくさんいました。フィーゴだって魂を見せてくれてました。不用意なファールで退場したクルイベルを叱り付けていたペップ、なんて印象的なシーンもありましたね。そういった“野武士っぽさ”というか、いい意味で都会っぽくないところが、バルサの魅力だったように思います。しかしなんだ、このバルサは。指揮官のどこまでも紳士なキャラクターが、悪い方向で伝染してしまったような大人しさ。バルサ魂を、このチームからは感じないのです。
絶対に負けたくない!このまま終わりたくない!という“スラムダンク的な”執念を見せてくれたのは、終盤のメッシと失点後に歯を食いしばるバルデスくらいでした。プレースタイルは見習う必要はないですが、プレーへの姿勢や勝利への気持ちなどは、バルサはマドリを手本とするべきでしょう。マドリがタイトルを獲り、バルサが憤死している一番の違いは、このあたりのチームとしての一丸となった集中力にあります。まずは戦術云々より、この失われたメンタリティを取り戻すことが、バルサ再建のカギ。そういった面でも、厳しさを持ったモウリーニョが良かったんですがねぇ。。。
◇改革はもちろん必須だが・・・
昨シーズンですでにひとつのサイクルが終焉していたバルサは、「ひょっとして再生するかも」というファンの希望もむなしく、さらなる崩壊へと突き進みました。フットボルにおける栄光期間は驚くほどに短く、それゆえに栄華を極めた(ように思える)クラブに心弾んで入団してきた選手は、逆に失意に沈むパターンがよく見られるわけですが(銀河系マドリならオーウェン、バルサならアンリなど)、だからマドリの黄金期も来季は保証などなく、バルサの逆襲が始まるかも!と無邪気に思えるほどに楽観的ではどうもいられません。少なくともこの1年間の“集大成”として、あのクラシコを見せられた後では。ポジティブにいきたい気持ちは山々ではありますが、さすがに厳しいです。
ラポルタ役員会によるプロジェクトモデル第1弾は、もはや崩れ去りました。このバルサはただ、メッシらカンテラーノたちと献身的な数名の選手によってもっているだけ。ライカー&テクニコの多大な甘やかしは思いのほかチームを蝕み、彼らから恥や誇りといった、勝利のためには欠かせない精神までもを失わせてしまったのです。後の祭りではありますが、処置を施すべき時に決断を見送り、ウソの言葉で目くらましをすることがどれだけの被害を結果的に及ぼすかを、バルセロニスタは身をもって知ることになりました。
そしてバルサメディアは声を揃えて、「このバルサには大改革が必要だ!」と唱えています。しかし監督をペップに代えるだけで、クラシコの舞台で80分までまともなシュートすら打てなかったチームが甦るのか。レアル・マドリの操り人形だったチームが、戦う集団へと再生されるのか。クラブは噂された複数名の役員辞任を即座に否定していますが、総辞職がありえないにしても、彼らがまず生まれ変わるところは生まれ変わらないと、結局なにも変わらない気がします。このクラブが改革を必要としている時に、“獰猛”で金のかかるモウリーニョではなく身内で手軽なグアルディオラを選んだラポルタ役員会に、再生は出来るのか。ペップがどうか、食いつぶされませんように。
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